播磨町は兵庫県の南西部に位置し、古代から中世にかけて栄えた歴史ある町です。
播磨町には、その歴史と文化を感じられるスポットがたくさんあります。今回は、播磨町の秘密をご紹介します!
歴史と文化が詰まったスポット6選です。それぞれのスポットの魅力や見どころを詳しく解説しますので、ぜひ参考にしてください。
播磨町の秘密!歴史と文化が詰まったスポット6選 圓満寺と大中遺跡
午前中にウォーキングをしながら、圓満寺と大中遺跡と山之上遺跡と住吉神社を参り、ちょっと車を走らせて、普光寺と野添住吉大神宮へ行きました。
風の気持ちいい日で、木々がたくさん話しかけてくれました
圓満寺
播磨町には、平安時代から続く歴史ある寺院があります。その名は圓満寺です。
圓満寺には、国宝の仏像や日本最古の梵鐘など、見どころがたくさんあります。
今回は、圓満寺の歴史と見どころをご紹介します。
圓満寺の歴史
圓満寺は、天平年間(729年~749年)に行基菩薩が開いたと伝わる寺院です。
当初は金禅寺と呼ばれ、播磨国の国分寺として栄えました。しかし、戦乱や火災によって何度も荒廃しました。
江戸時代になると、播磨藩主の池田氏によって再興されました。
その際に現在の場所に移転し、圓満寺と改名しました。また、禅曹洞宗から高野山真言宗に改宗しました。現在も高野山真言宗の寺院として、多くの信仰を集めています。
圓満寺の見どころ
圓満寺の見どころは、まず播磨五重塔です。この塔は、元禄年間(1688年~1704年)に建てられたもので、高さは約30メートルあります。塔内には仏像や経典などが納められており、特別公開されることもあります。塔の周りには桜や紅葉などの美しい木々が植えられており、季節ごとに違った景色を楽しむことができます。
遠くからも見える五重塔の姿は美しいです
五重塔に彩られている鏝絵(こてえ)は素晴らしかったです
次に圓満寺には、国宝に指定されている「木造阿弥陀如来坐像」や「木造観音菩薩立像」などの仏像があります。これらの仏像は、平安時代の彫刻技術や美意識を今に伝える傑作です。特に「木造観音菩薩立像」は、優美な姿勢や表情が魅力的です。圓満寺では、これらの仏像を拝観することができます。
また、圓満寺には、日本最古の梵鐘や日本最古の経蔵などもあります。
梵鐘は、平安時代末期に作られたもので、重さは約1.5トンあります。経蔵は、平安時代中期に建てられたもので、国内最古の木造建築物です。これらも貴重な文化財として保存されています。
さらに、境内には夢現一願観音や十二神将などの仏像や石碑が多数あります。夢現一願観音は、夢で願い事を叶えてくれるという信仰を集めています。水子地蔵や髪塚などもあります。圓満寺は、様々な願い事をかなえてくれる寺院として親しまれています。
最後に、圓満寺は阪急沿線西国七福神霊場としても有名です。「福禄寿」を祀っており、七福神めぐりをすることで、幸運や長寿などのご利益があるとされています。
四国八十八か所お砂踏み道場
圓満寺は、播磨町の歴史と文化を伝える貴重な寺院です。ぜひ一度訪れてみてください。
圓満寺 アクセス
そこから、公園を歩いて、川を渡ると
大中遺跡
播磨町には、日本の古代文化を感じることができる素晴らしい遺跡があります。
それが、大中遺跡です。
大中遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけての集落跡で、国宝に指定されている「大中銅鐸」や「大中銅剣」などの貴重な遺物が発見された場所です。この記事では、大中遺跡の歴史や見どころをご紹介します。
遺跡からは、弥生土器や土師器などの生活道具や、石鏃や鉄器などの武器が多数出土しています。特に注目すべきは、中国製の鏡や銅鐸などの貴重品が見つかっていることです。これらは、当時の日本と中国との交流を示す証拠となっています。特に内行花文鏡片は、播磨町の指定文化財になっています。
大中遺跡の発見と歴史
大中遺跡は、昭和37年に3人の中学生が土地の所有者から許可を得て探検した際に偶然発見されました。その後、昭和42年に国の史跡に指定され、発掘調査が行われました。調査の結果、約1900年前から約1700年前にかけて、播磨地方では有力なムラとして栄えたことがわかりました。
遺跡の面積は約7.5ヘクタールで、73軒の竪穴住居跡が確認されています。住居跡は円形や方形、六角形など様々な形をしており、一部は復元されています。住居の中には、長さ10メートル以上の大型住居もあります。住居のほかにも、貯蔵穴や溝なども見つかっています。
大中遺跡の見どころ
大中遺跡は、「播磨大中古代の村」として一般公開されています。遺跡内には、復元された竪穴住居や出土品を展示する郷土資料館があります。
また、隣接する兵庫県立考古博物館では、大中遺跡だけでなく、兵庫県内のさまざまな考古資料を見ることができます。
遺跡内では、毎年秋に「大中遺跡まつり」が開催されます。この祭りでは、弥生時代の文化を体験することができます。例えば、弥生土器づくりや火起こし体験、弓矢やブーメランなどの武器体験などがあります。また、弥生時代の衣装を着て記念撮影することもできます。
竪穴式住居に入ることもできます
播磨町に訪れた際には、ぜひ大中遺跡に足を運んでみてください。日本の古代文化を感じることができる素晴らしいスポットです。
加古川の歴史を感じる!山之上遺跡と住吉神社の見どころ
こんにちは、加古川の歴史に興味がある方におすすめのスポットを紹介するブログです。今回は、播磨町にある山之上遺跡と住吉神社についてご紹介します。
山之上遺跡とは?
山之上遺跡は、潰目池のほとりに位置する弥生時代後期の竪穴式住居跡です。この一帯は、先土器時代(縄文時代以前で、土器を造らない時代)の石器も発見されており、古くから人々が暮らしていたことがわかります。国指定史跡の大中遺跡と隣接しており、同じ集落の一部だったと考えられています。遺跡の周辺には、説明看板や展示施設があり、当時の生活や文化を知ることができます。
住吉神社とは?
住吉神社は、山之上遺跡のすぐそばに鎮座する神社です。創立年不詳ですが、嘉永元年(1848年)に社殿が再建され、明治7年(1874年)に村社に列せられました。住吉大明神を祀っており、交通安全や商売繁盛などのご利益があるとされています。境内には、松や灯籠が並び、趣のある雰囲気を醸し出しています。初詣やお祭りなどの時期には、多くの人々で賑わいます。
7月には千燈祭がありました。子供たちにはチケットをいただいたり、食べ物やくじ引きなどの屋台も並び、楽しかったです
山之上遺跡と住吉神社へのアクセス方法
山之上遺跡と住吉神社へは、JR加古川駅から神姫バス「野添城3丁目」下車徒歩約3分で行くことができます。車で行く場合は、駐車場もあります。潰目池の周りを散策しながら、加古川の歴史を感じることができるスポットです。ぜひ一度訪れてみてください。
普光寺と野添住吉大神宮について
普光寺
普光寺は、播磨町の中心部にある真言宗の寺院です。平安時代に創建されたと伝えられており、本尊は薬師如来です。境内には、国の重要文化財に指定されている平安時代の木造薬師如来坐像や、江戸時代の木造十一面観音立像などがあります。また、普光寺は、播磨国分寺の末寺であるという説もあります。普光寺は、毎年4月8日に花まつりを行っており、本堂前に飾られた花御堂には、釈迦如来の誕生を描いた絵馬が掲げられます。この日は、本尊の薬師如来像が開帳される貴重な機会でもあります。
野添住吉大神宮
野添住吉大神宮は、播磨町の西部にある神社で、住吉神社とも呼ばれています。創立年は不詳ですが、阿閇神社の大宮として古くから信仰されてきました。境内には、底筒男命や市杵島姫命などの住吉三神を始めとする七柱の神々が祀られています。また、大歳神や来名戸命などの五穀豊穣や商売繁盛の神々も配祀されています。野添住吉大神宮は、毎年10月15日に例祭を行っており、神輿や太鼓などの奉納が行われます。この日は、多くの参拝者で賑わいます。
播磨町には、普光寺や野添住吉大神宮のように、歴史と文化が深く関わる寺院や神社が多くあります。播磨町を訪れた際には、ぜひ足を運んでみてください。
まとめ
播磨町は古代からの歴史が豊富で、多くの文化遺産が残っています。
記事では、圓満寺、大中遺跡、野添住吉大神宮、普光寺、加古川、山之上遺跡という6つのスポットを紹介しています
それぞれに特徴や見どころがありますが、私が特に印象に残ったのは、圓満寺です。
圓満寺は平安時代に創建されたお寺で、国宝の木造阿弥陀如来坐像や重要文化財の木造十一面観音立像など、貴重な仏像が多数安置されています。
また、圓満寺は播磨町の桜の名所としても知られており、春には境内が桜で彩られます。
歴史と文化に触れることができる素晴らしい場所だと感じました。
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